77年度主将の譲原より原稿執筆依頼のメールに気がついたのが、残業を終えてクタクタで帰宅した午前1時過ぎ。
無視して眠れば明日への鋭気も養えるのに…でもそれが出来ない。大学生活4年間を通じ培ってきた、
同輩・先輩・後輩の良きも悪しきも想い出深い経験があったからなのかも。
(OB会費を払ってもいない自分に『ちゃんと払えよ』と暗に促しているのかもしれないけど。)
卒業して26年。それでも明学に通っていた4年間のことを今でもはっきりと覚えているのは、それなりに充実した生活を送っていたからだと思う。
ESSか軟式野球部に入ろうと白金キャンパスを一人で歩いていたところを、無理やり体育館に連れて行かれて
『坊主にはしないで良いんだよ。女子部員も多いんだよ。』の甘言にそそのかされ、その場で入部を決めてしまったことから
自分の4年間の大学生活の歴史が始まった。
その4年間で今でもハッキリと記憶に残る幾つかのエピソードをご紹介しよう。
■ 其の1 『1年夏合宿(能登:恋路海岸)』編
他の武道の心得のあった同期の福田が乱捕り時にボコボコにされ、前歯を折ったこと。
後になれば自分も同じようなことを下級生にしたような記憶もあるが、鬼の形相でパンチと蹴りを繰り出すシーンに背筋がゾーっとした。
怖くて近寄れなかったです、田代先輩。
余談だが、この合宿で体調不良で寝込んでしまった同期の小川(別名:チャチャイ)に色々な薬?を投与したところ、
翌日何と身長が10cm以上伸びていたのには仰天した。
■ 其の2 『試験答案ひったくり』編
あろうことか、用紙一杯に書き込んだ答案用紙をそのまま取り上げ、名前を書き換えるという暴挙。
唖然としている自分を見て微笑んでいるあのお顔は今でも忘れませんよ、望月先輩。
筆跡を変えながら時間ギリギリまで答案を作り直さざるを得ない矛盾を目の当たりにした"事件"であった。
(でも、卒業後先輩のハネムーン旅行手配の指名をいただいたときは嬉しかったですよ。)
■ 其の3 『東村山⇒三鷹間徒歩』編
納会の帰りに"強制連行"され、所持金 \1,000の自分を終電発車後の東村山で解放。
厳寒の深夜、警官からの職質をうけながら、泣く泣く三鷹までたどりつき、握り締めた \1,000で下宿先の吉祥寺までタクシーで何とか帰りついた明け方。
いい運動させていただきました、安井先輩。
(先日、『お前が付いてきた』とおっしゃっていましたが、当時は断れる状況ではなかったからですよ。また六本木のあの店に連れて行ってください!)
その他、紹介したい四方山話は幾つもあるが、紙面の都合とりあえず今回はここまで。
昔を懐かしむようになったのは、自分が年を取った証拠。 でも懐かしむことのできる、今となっては楽しい想い出を多く残せたのも明学大少林寺拳法部に在籍していたからこそ。 長い人生の中のたった4年間の出来事だが、自分史の中では結構大きな比重を占めているのも確か。 一期一会、これからも何らかの形で、現役時代とは違った社会人としてのお付合いをお願いできればと考える今日この頃である。
追伸
学祭時に6号館ではなく、4号館前に出されていた教壇に、蹴りで穴をあけたのは間違いなく私です。
そのことが原因で、以降飲酒が中止になったとういうのは本当の話ですか?そうであったなら、本当に申し訳ありません。
この場をお借りして改めて皆様にお詫び申し上げます。
でももう時効成立ですよね。あの時の、気持ちいいくらい上手く蹴りこめた感触が今でも足の裏に残っているのもまた事実ですが・・・