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左から望月、笹尾、筆者 |
今回、再度のご指名につき、次のジジィの方のつなぎとして学生時代の思い出を投稿させて頂きます。
さて、私が入学した76年は、まだ少林寺拳法同好会だった。
5月のある日、私はパーマにツナギにサングラスといういでたちで4号館裏の部室に行く途中、3〜4人の人たちに声をかけられた。
「お前、少林寺か?」
「押忍!」
「これでエノコウの一番手は決まったな」
「???」
その数日後、「エノコウ」が空手部主催の江ノ島行軍である事を知り、あの先輩が空手のM先輩やI先輩やK先輩であった事を知る。
そして当日、えびすや旅館にフラフラでたどりつき、「何でトイレのまわりに新聞紙が敷き詰められているんだろう?」と無邪気に考えていた私は、
宴会が始まった直後、「おい、空手の先輩がお前の事を呼んでるぞ。」と先輩に言われ、上座に居並んだ先輩方の前に正座した。
その後はご想像にまかせるが、生まれて初めて60キロ走った疲れと、駆けつけ○○杯で気を失ったおかげで意外と安眠できたのであった (朝のみんなの様子は相当悲惨であった)。
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筆者、望月 |
2年からは、部昇格を考え全員学ランに。
自分はあまり長いのは好みで無かったので、中ランでハイカラーを6センチ、袖は5つボタンで2つ掛け、裏に青字の刺繍とセンス良くまとめた。
酒は比較的強かったので、良く納会の後に先輩のお供をした。
自分から仕掛けた事は無いが、血の気の多い先輩が多かったので、結構楽しめた。
目黒駅前の乱闘…きっかけは武野先輩?白金警察に連行されたような記憶あり。
銀座並木通りの乱闘…きっかけは田代先輩?相手はどこかの援団でマント姿にひしゃくを背中にしょっていた。
築地警察に連行された記憶あり。
しかし、どこの警察でも「しょうがねぇな」という感じであまり怒られなかった。 彼らも学生時代は同じ事をしていたのだろう。
3年の幹部になると、いよいよ部昇格も現実のものとなり、喧嘩はご法度となった(おかげで増崎先輩にお世話になる事はなかったのである)。 会社の上場のようなもので、不祥事を起こすと各部の同意を得られない。
3年の学園祭、おでん屋(飲み屋)を開き、店番と称し学校に泊り込んだ。 今は亡き空手の主将Mと、一人が酒の一升瓶、一人が水の入った一升瓶を持って、各部の店番を回り潰して歩いた(発案はM)。 その後酔っ払ったMが、校門から並ぶ各部の屋台を破壊し始めた。 当時のMは傍若無人、恐いもの無しで、乱暴狼藉を止めるのは一苦労。何故か、私の諫言は良く聞いてくれた。
我が部が急性アルコール中毒を出し(救急車が呼ばれた)、77年の統制亀田が6号館の教卓を破壊したので、 以降学園祭で飲酒が一切禁止になったと記憶している。後輩のみなさん、恐縮です。 それでも4年の学園祭は、校門(東門)を出たところで剣菱を回し飲みした (主将の譲原の発案か、私のリクエストかは定かでない)。
今の後輩からすると、「バカじゃないの?」と言われるような学園生活だったが、とても楽しかった。 我が代76年は結構結束していたと思うし、先輩・後輩にも恵まれたと思う。
と、若かりし頃を回顧するのがジジィなんです!