こんにちは!自分は79年度経済学部の平尾貴治と申します。
だいぶ前よりジジイ通信に投稿すると言いながら、忙しさにかまけて遅くなってしまったことをお詫びいたします。
せっかくの機会ですので、改めて明学大少林寺拳法部の4年間を振り返り、今感じていることをお伝えしたいと思います。
入学直後、高校時代バンド活動していた私は「さあ思う存分 音楽やるぞ!」と心に決めて校内を歩いておりました。
ところが不自然な愛想笑いを振りまく先輩に「ねえ君、少林寺拳法やらない?」と声をかけられてしまったのです。
その瞬間、思わず私の口から出た言葉は「僕ボーカルなんですけど少林寺やっても声枯れませんか?」という、なんとも軟弱で見当外れな質問でした。
当時の先輩方もきっと怪訝な思いをしたでしょうが、そんな表情は見せずに、「大丈夫!練習もそんな厳しくないし、
音楽も続けられるよ!」と優しく(嘘を)仰ってくださいました。
何よりジャージ姿で、女性先輩(村上先輩?)と勧誘出店でソフトクリームを食べたりしている先輩達の姿は、とってもアットホームで穏やかな団体に思えました。
「じゃ、取りあえず話だけ伺います。」と言ってしまった私は体育館裏の部室に連れて行かれたのです。 そして部室の扉を開けると、そこにはジャージではなく、真っ黒なガクランを着た先輩たちが集まっていました。 そこでの先輩方はアットホームのかけらもない表情で私を一瞥すると「おう、お前入部するんか?」とつぶやき、ビビった私の入部は決定してしまったのです。
入部後の日々は、理不尽なことの連続でした。 特に当時の上下関係の厳しさは今までに経験が無く、ひたすらしつこい鍛錬をやる望月先輩、当時は顔中に傷があり笑顔を見せない譲原先輩、 屋上での 乱捕りでフェンスに追い込んで殴りまくる亀田先輩など、最初のうちはただただ先輩方が怖いばかりでした。 また技の部分でも足刀三段蹴りを全く軸をぶらさずにこなしてしまう笹尾先輩など、正に上下間の差は天と地でした。
しかし、そんな下級生時代で今も強く記憶に残る3つの出来事がありました。
ひとつは、新入生歓迎コンパで しこたま飲まされた時のことです(※今は1年生を飲ましちゃだめなんだそうですね。面倒な…以下自粛)。
まったく記憶の無くなった自分は、翌朝、二つ上の斉藤先輩の下宿で目覚めました。
斉藤先輩は、自分が目覚めると「平尾ロック好きなんだよな?」と言いながら私の大好きなローリングストーンズのテープをかけてくれました。
朝食もご馳走になりながら、色んな話を伺いました。
それまで、先輩達は ただの怖い人で、さらに「演歌しか聴かないおじさん」のように見えていたのでとても意外だった記憶があります。
【夏合宿後】 同期 |
【1年のときの宴会】 |
二つ目は、私が乱捕りの蹴りを受けて、軽度の内臓破裂で病院に運ばれたときのことです。 病院に駆けつけた自分の母親に対して、譲原先輩をはじめとする当時の幹部方が 「この度は大切な預かりものである息子さんに怪我をさせてしまい本当に申し訳ありませんでした!」と深々とお詫びをしたのです。 びっくりするとともに、その責任感の強さに感動いたしました。
三つ目は、ひとつ上の斉藤先輩のことです。下宿に遊びに行かせていただいたところ、 新撰組のファンであった斉藤先輩は真夜中まで土方歳三副長の素晴らしさを熱く熱く語ってくださいました。 おかげで、自分はその後、絶えず「こんな時、土方ならどうするか?」と考えるという習慣が染み付きました。 なんとそれは今も続いております!
こうした下級生時代の経験から、一見理不尽な上下関係の中に、「下の面倒はとことん見る」 「上は責任を必ずとる」
「リーダーはテクニックではなく己の人生観で下を引っ張る」といった組織の真実を学んだ気がします。
ですから自分が幹部になったときも、特に私が統制部長という立場のこともあり、「単に合理性を求めるような組織作りはやめよう」と考え、
「体育会的なもの」「悪習」の脱却を急ぐ仲間とは議論になったものです。
現在私は企業に対する組織コンサルテーションを生業としております。
その中で所謂「パワハラ問題」などの相談を受けることもあります。
それは、当時の少林寺の上下関係とは一見似ていますが、全く非なるものだと思っております。
パワハラ上司も下に強くプレッシャーをかけますが、あの時の先輩方のようにとことん面倒を見たり、
何かあったときの責任を腹を決めて受け止めたりすることはありません。
ですから、私がOB会長をやらせていただいていたときも、機会があると現役の皆さんには
「組織運営において、合理性だけを求めないで下さい。」ということを繰り返し申し上げておりました。
時代は変わり、少林寺のマークも変わり、服装もガクランではなくなり、髪型も自由です。上下関係もそれほどではないでしょう。
今の学生にあの頃のやり方を押し付ける気は毛頭ありません。
しかし、せっかく縁があって体育会に入るのであれば、是非、合理性を超えた体験を自分の武器にしていただきたいという願いはあります。
なぜなら、社会に出たとき、間違いなく「効率・能率・論理的合理性」で切り分けられないもので組織が動いている現実があるのです。
特に現在のような先の読めない時代においては、結局「理念」だとか「オモイ」だとかが決め手だったりします。
それが、私が明学大少林寺の4年間の経験から学び取り、正に今に生かせていることです。
気がつけば私もいつの間にか50歳になってしまいました。 でも 先日の創立45周年式典において、譲原先輩の「平尾、ちょっと!」の声に未だにダッシュで駆けてしまう自分がいます。 また増崎先輩ご夫妻のお話には今でも背筋がピンと伸びる気持ちがします。 それもこれも、良い意味での「理不尽さ」があの時代にあったからだと思います。
【筆者】 |
【夏練習】 これから 目黒-五反田 間を走りにいくところ |
まとまりの無い文章になりましたが、今私の考えていることをツラツラと書きました。
間もなく年が変わります。
OB会長時代は現役幹部を呼んで「年越し稽古」をやったな〜なんてことを思いつつペンを置きたいと思います。
次回、50周年記念ではもっと沢山のOBの皆様とお会いしましょう!